本稿は在家信徒各位に向けて書き著すものです。葬式で行われる引導作法について理解を深め、教化の一助に資することを目的とする。引用転載を固く禁ずる。
真言宗の葬儀引導
日本仏教史を遡りますと鎌倉時代中期以降、禅宗僧侶により在家を対象とする葬送儀式(以後葬式と略称す)が行われるようになったと謂れます。
その形態を真言宗でも受容して、歴代の先徳方が思案研鑽をなされ、今日に至り修法される引導作法が成立しました。
基本とされる権威ある文献としては『五巻疏』と『二巻疏』が挙げられ、室町中期以降の書物と思われます。他にも醍醐系統では頼勢の『引導能印鈔』や『真言下火集』、南山系統では南方乞士不可停の『福田殖種纂要十巻』、伝慧の『引導要集便蒙』等があります。また、本軌が存在しないため引導作法は阿闍梨の数だけあるといっても過言ありません。
仏教全体の規模として釈尊仰せには「在家の人々の葬式に関わってはならない」と戒律に明言あります。この戒律に遵って、葬式を行う前に在家の人々を出家させ戒名を授けます。近年は戒名不要の論が跋扈されますが甚だ暴論にして、仏教徒の葬式催行において規定となる要点です。受戒を抜きにした仏法はあり得ないため、副次的にその証明である戒名も重要になります。戒名不要であれば仏教に基づく葬式の必要性もなく、無宗教葬でも良い訳です。
今日仏教で行われる供養につき、その論拠を執筆したものがあります。ご関心ある方は一読ください。#仏教における供養とは
もっとも真言宗の特色にして重要なことは「灌頂」です。出家した亡者に秘密真言の灌頂印明をお授けして、精霊得脱の大いなる資糧となす。そうして今後修行される浄土へと発遣するのです。わが宗では亡者を何処へ引導するかについて二通りあります。一つは阿弥陀如来の西方浄土。もう一つは、弥勒菩薩の都卒天。ここでは『五巻疏』所載の大師御相承と仮託される『広次第』を見ると了解できます。
導師は阿弥陀法を修法して、亡者に弥陀の光明を照らし滅罪生善を祈る。そして、散念誦に至り大金剛輪と一字を残して引導に入る。ここまで助衆は理趣三昧や阿弥陀三昧、法華三昧などを致します。これより導師は引導印信を授与していく訳です。発菩提と三昧耶戒の印言を結誦してから、初重の灌頂印信を授ける。これで亡者に伝法灌頂を行ったことになります。次に蓮華三昧耶経の偈文と密印の功徳を以って、三十七尊のおわす仏界に入り即身成仏すると観想する訳です。
総じて六通の引導印信をこれより順次お授けしていきます。第一通の印信に入りますが要約すると、亡者は阿弥陀三尊に導かれながら地蔵菩薩と不動明王に守護されて浄土へ赴きます。その途中で仏様が種々に姿を変えて説法してくださる。第二通では亡者が死出の山路(地獄)を無事に通り、苦しみを除くために地蔵と大随求の加被を憑む。第三通では次に三途の河を不動尊の守護を得て渡ります。第四通ではこの先に六つの道があり、亡者が迷い込まず仏になるため不動明王の導きを更に頂きます。次いで第五通で色心不二成仏の印明をお授けします。第六通に至りようやく最後の法華灌頂印信をお授けします。第五通までは真言秘密の伝法灌頂を授けて、第六通で顕教の一番大事なものを授ける。全く顕密不二を会得させる構成なのです。別に第七通目がありますがこれは土葬に際して墓所でお授けされます。
この各種印信を授与する導師のほか、表白(儀式の事由を仏さまへ言上する文章)を読む表白師、故人の供養のために縁者が書写したお経を読誦する咒願師と少なくとも三人の僧侶で修法される構成になっています。
しかし、現在は都市部を中心に導師のみ独行する形態が一般化してきました。修法する時間もおおよそ四十五分程度です。
重ねて一日葬というプランが発生して、初七日も式中で済ませてしまおうと変化してきた訳です。僧侶の立場から言えば葬儀は単なる追悼式ではなく、霊魂の実在を感じて迷わぬよう確実に執行する必要があります。限られた時間でどのように式次第を編纂するか。ここで大きな助けとなるのが歴代先徳による口訣伝承です。解説してきた広次第の肝要を抽出して略次第を立てます。ここでいう略は粗雑の義ではありません。広を知るが故に略なるを了解できるものです。現在は事相家が創意工夫した次第を出版なされていますが、本義には阿闍梨自らが各々編纂して修法に臨むべきでしょう。
その他にも臨終の行儀や野辺作法や火葬所での一々に至るまで、事細やかに亡者を結護し安楽を与えるべく導師は配慮を致します。葬式の催行形態が時代の変遷と共に変容しても、根本は変わらず受継がれているのです。そして現代の阿闍梨衆も責務を全うして、絶えず次第の編纂にあたり続けます。
そして喪主をはじめ遺族や会葬の親縁者に至るまで、心静かに亡者の成三菩提を至心に祈ることで善果を証し往生が決定されます。
本稿読者の皆さまが導師作法の全容について一応の理解を得たと想定して筆を進めます。
葬式の日時について
葬式の執行日について俗説として友引を避けるという事があります。つまり友人を連れて逝くからとされます。これは「六曜」と云う江戸時代に定着した暦注の事で、歴史的に仏教はこれを受容していません。他にも干支日の「酉」も忌避します。酉は取りに通じるからです。時間について言及すれば葬式は大体午後に行われるのが常識でしたが、近年は火葬場の予約の都合や遠方参拝者への配慮から午前中が主体化しています。
通常、吉凶の擇日について戒本では禁じられています。但し、密教ではこれを説く『宿曜経』があります。天体の運行による障碍やその影響を肯定しながらも現実的に日時に左右されてはいけない訳です。どうするかと言えば、秘密印明で加持をして星宿の悪星を善星へ転化させます。結論として真言宗の葬式に不修日は存在するものの、厄災を破る修法をなす事で厄災を避け執行する事ができます。そして六曜や干支日に惑わされる必要は無いと断言します。