◎盂蘭盆や回忌法要など仏事でのお供え

真言宗の仏事で丁寧には「御霊供(おりょうぐ)」をお供えします。先亡者の霊魂に対してお供えするものですから文字通り「御霊供」と謂われます。

左下:親椀(ご飯) 右下:汁椀 中央:壺椀(白和え・煮豆など) 左上:平椀(厚揚げなど) 右上:高坏(奈良和えなど)手前:箸

左下:親椀(ご飯) 右下:汁椀 中央:壺椀(白和え・煮豆など) 左上:平椀(厚揚げなど) 右上:高坏(奈良和えなど)手前:箸

御霊供の膳は、五個の器と四個の蓋から構成されており、九重椀と呼ばれています。高坏には蓋がありません。料理は、一汁三菜の精進料理で肉や魚介類は用いません。また、韮やニンニクなど香りの強いものも控えます。

精進料理とは、寺の料理で仏道修行に精進努力する僧が殺生を避け、野菜を中心に作ってきたものです。季節の野菜・山菜・海藻などを材料として、五味・五法・五色の決まり事のもとに調理します。

五味とは、辛味・甘味・酸味・塩辛味・苦味の五つ。五法とは、生・煮る・揚げる・焼く・蒸すという五種の調味法。五色とは、白・黃・赤・青・黒。

旬の食材を色とりどりに用いて、様々に調理をして変化をつけた味付けをする事で、天然の齎す恩恵に気づき、感謝の心が生まれるでしょう。「医食同源」との言葉を言い始めました明治時代の軍医、石塚左玄は「春苦み、夏は酢の物、秋辛み、冬は油で合点して食へ」と残しましたが、時期に応じて身体のバランスを取るために相応しい食物を摂ることが健康のもとになると云うことが解かります。

御霊供でも旬の食材を用いて様々な調理をして、仏さまに喜んで頂けるようお供えすることが大切です。

ご飯は高盛りにして、十分に召し上がって頂く意味があります。汁は煮干しなど動物性のもので出汁を取らず、椎茸や昆布などを使います。壺椀には「ほうれん草の白和え」や「たけのこの木の芽和え」、「芋の辛子和え」、「煮豆」など季節に応じたものを使います。平椀には、「厚揚げの甘煮」をよく用いますが「高野豆腐」、「椎茸」などの煮付けもあります。高坏には、「奈良和え」を盛りますが是れも季節により「酢の物」になる事もあります。なお、「奈良和え」の語源は七和え(七種の野菜を和える)から来たものです。

以上を見ますと、五味・五法・五色の仕来り通りではありませんが、十分に精進料理の心を生かしたものであるのが判ります。

かつて、御霊供は供えた後に当主が食べていたと聞きます。御霊供や法事の膳は、本来同じ内容でありましてお迎えした仏さまと私たちが同じものを食べることにより供養の心が一層通じるものでしょう。現在はいくらか習慣が変容してまいりましたが、この気持ちは大切にしたいものです。なお、お供えした後は畑や川などで鳥や魚に施すことも功徳積善に繋がります。

本尊やお大師さまの分として御霊供を増やすことが丁寧ですが、茶湯とご飯を是れに宛てても差し支えありません。

日常のお供え

六波羅蜜行(ろくはらみつぎょう)と申して、成仏を目指すための修行方法があります。

水(=布施行)・塗香(=持戒行)・花(=忍辱行)・焼香(=精進行)・飮食(=禅定行)・灯明(=智慧行)

①水…『六波羅蜜経』に「布施の水を以て洗浴し清浄なら令む」と説かれ、布施と深い関わりがあります。布施とは、本来は僧侶に対して袈裟に用いるための布を施すことでしたが、今ここでの説明では「施し」の意味で表記します。つまり、人の為に尽くすことです。法事にあたり、お寺への寄進(財施)・集会した人々への食事の供養(食施)などが全て布施です。また一方、僧侶が修法したり説法することは法施(法=おしえ)と云います。水は全てのものに平等で、命の水と謂われるように潤いを与え力をもたらします。また、清浄な水は汚れを洗い流します。水をお供えすることは、財施・法施などを象徴しています。茶湯をお供えすることも差し支えありません。

②塗香…『六波羅蜜経』に「持戒の香」・「浄戒の香」を身に塗ることが説かれており、戒律と関わりが深いものです。身に塗ることに依って清浄になり、爽やかになります。五戒や十善戒などの戒律を守れば、煩悩を離れて清涼なる心になるのです。また、たとえ先亡者があの世で苦しんでいても塗香に喩えられる清き持戒の功徳力により速やかに成仏できるのです。在家(出家した者に対する語、仏法に帰依する一般信者)では塗香(香気のある葉などを細末化した粉)を用いることは稀です。それ故に、よき花の香りが塗香に通ずることから花をお供えします。因みに塗香を皆さんが用いて頂くことは問題ありません。

③花…『六波羅蜜経』に「忍辱を以て華鬘(けまん)となし、その身を荘厳せよ」と説かれます。どのような花もそれぞれ美しく愛らしく、視る人々に心の安らぎを与えます。怒りに囚われた人も、花を見れば心は静まります。この心を保てば、勝手なことを言われたりされても能く耐え忍ぶことが出来ます。やがては困難を克服することも出来るのです。斯様なところから花が忍辱行と結び付けられているのです。花をお供えする時には、棘がなく嫌な匂いがせず、新鮮なよい香りがするものを選ぶ可きです。勿論、樒でも問題ありません。

④焼香…「香食(こうじき)」という言葉があります。本尊やご先祖さまはお香の薫りを喜んでくださると謂われます。焼香には、何処へでも遍く往き渡る「遍至の徳」と途中で消えることなく尽きるまで燃える「精進の徳」、凡ゆるものを清める(戒香の徳)の三種の徳があります。一旦始めたら最後まで燃えつきるように、努力精進の徳が焼香には具わっています。私たちも信心を怠らず、心を清めて修養・精進を致しましょう。食物も美味しいものが喜ばれるように、焼香もよい薫りのものを用いることが大切です。

⑤飮食…お釈迦さまは出家して長年に亘って苦行を積まれました。断食行の末に骨と皮だけに痩せ細ったお姿になりました。これを見た村の娘が乳粥(牛が一般的、ヤギなども用いられる。)を供養しました。是れに依って体力を回復したお釈迦さまは、心静かに禅定に入って覚り(=悟り)を得られました。飮食と禅定はともに身心を安らかにする徳があります。そして、飮食の功徳を先亡者に廻向することにより、あの世での平安を祈念するのです。飮食のお供えには、御霊供のほか、果物や菓子などが用いられます。

⑥灯明…『秘蔵記(ひぞうき)』(真言宗で重要な書物)には「明灯(みょうとう)は智慧なり」とあり、『大日経疏(だいにちきょうしょ)』には「灯とは、これ如来の光明。闇を破するの義なり。」とあります。明かりが灯れば暗闇が消え去るように、仏さまの光明に照らされて、私たちの煩悩・迷いの闇が消え去るのです。同時に、先亡者も光明に遇う功徳によって、苦を抜き楽を与えられて救われるのです。『涅槃経』には、インドに貧しいけれども信心深い一人の婦人があり、苦労の末に仏さまに献じた一灯(貧者の一灯)が、名を求めて献じた百灯よりも輝き功徳が勝れていたとの話が説かれています。灯明をお供えする時には、至心(ししん、まごころ)に献じることが大切です。

日々のお仏壇でのお供えは、深い意味を観じて行えば修行にも成り得るのです。同じ行為の中でも、それを行う心が異なれば学びや気づきが増えるのです。